はじめに
こんにちは、Mojikoです。
この記事を読んでくださってありがとうございます。
繊細さん(HSP)×毒親育ちの私のこれまでのことをお話ししようと思います。
一気にたくさん書こうと思い意気込んだもの、重すぎてつらい内容となってしまいました…。
ですので今回は、私の幼少期のことを少しお話ししたいと思います。
タイトルにもあるように、私は子どものころ、ずっと「いい子」でいようと頑張っていました。誰かに言われたわけじゃなく、自然とそう振る舞っていました。
でもそれは、素直にのびのびと育ったというより、「怒られたくない」「嫌われたくない」という気持ちの裏返しだったのです。
もしかしたら、同じような気持ちで子ども時代を過ごした方もいるかもしれません。
この文章が誰かの「そうだったんだな」と自分を理解するきっかけになれば、嬉しいです。
第1章:「いい子」でいることが当たり前だった日々
私の幼少期は、いつも「しっかりしている子だね」と言われるタイプでした。
幼稚園でも小学校でも、先生やクラスメイトの親から褒められることが多かったです。
けれど家では、わりといつも怒られていました。
できないことは怒られ、できたことに対しても「あなたにできるなら大したことはない。他の子でもできる」と言われるような日々。
だから「褒められた」という感覚がなく、それが今の自己肯定感の低さにつながっている気がします。
当時はそんなに冷静に考えることができず、「もっと頑張らなきゃ」とか「できない自分が悪いんだ」と思い込んでいました。
外でも内でも、しっかりしようと常に気を張っていたので、相当神経を使って過ごしていたと思います。
間違えたらどうしよう、怒られるかもしれない、がっかりされるかもしれない――
そんな不安がいつも心のどこかにあって、どんな些細なことでも失敗しないか、本当に怖かった。
遊びの中でも、誰かを怒らせないように、場の空気を読んで振る舞っていた気がします。
本音で話すことがよくわからなかったし、「嫌だ」と言うことにも強い罪悪感がありました。
(そもそも、そんなに友達もいなかったんですが…笑)
第2章:「怒られないように」じゃなく「愛されたいから」
大人になった今、あの頃の自分を思い返すと、「ただ怒られるのが怖かった」だけじゃなかったんだと気づきます。
「嫌われたくない」と思っていたけれど、たぶんそれは、「愛されたい」という気持ちの裏返しだったのだと思います。
本当は、誰かにちゃんと見てほしかった。
「えらいね」じゃなくて、「あなたがどう思っているかを知りたい」と言ってほしかった。
でも、私の中では
怒られる=嫌われる、
わがままを言う=愛されない
という方程式がすでに出来上がっていました。
だからこそ、「いい子」でいることでしか、自分の居場所を確保できないような感覚があったんだと思います。
第3章:「素直さ」より「演技」が身についてしまった
そうして成長するうちに、「自分の気持ちを感じること」自体が難しくなっていきました。
自分がどうしたいのか、何が好きで何が嫌なのか――
たとえ感じたとしても、それを口にするのが怖くて、「これは言っても大丈夫かな?」「誰かを傷つけないかな?」と先回りして考えてしまう。
そして、気づけば「演じること」が当たり前になっていました。
場の空気に合わせるのが得意になり、相手が求めている言葉を先回りして発するようになっていました。
言葉を口にするまでに、頭の中でぐるぐると考えてから話すようになったせいで、直感的な感情がよくわからなくなっていたんだと思います。
たぶん、感情を押し殺していたんですよね。
でも、そうやって「いい子」として認められても、心の中はいつも空っぽでした。
悲しい気持ちだけが、ずっと取り残されていました。
――いや、むしろその「悲しい気持ち」ですら気づけず、本当に何もない、空っぽな感覚だったんです。
一度、友達に「どうして思っていることを言ってくれないの?」と泣かれたことがあります。
その時の私は「え?本当に何も思ってないけど?」と不思議に思っていました。
でも後になって、それは「自分の気持ちがわからなかっただけ」だったと気づきました。
大人になって自由になって、ようやく本当の気持ちに向き合えるようになり、
その友人にも謝ることができました。
これからは、怖くても、自分の思いを少しずつ話していこうと思っています。
第4章:それでも自分を嫌いにならないために
今は少しずつ、「演じなくていい場所」を増やす努力をしています。
・本音で話せる人を少しずつ増やすこと
・自分が「嫌だ」と思ったら、なるべく早く気づいてあげること
・完璧じゃなくても、誰かに迷惑をかけても、それで「ダメな人間だ」と思いすぎないこと
まだまだ練習中です。
でも、「本当の自分でいていいんだ」と思える時間が、ほんの少しずつ増えてきた気がします。
「いい子」でいた私も、あの頃の私なりに、一生懸命だった。
だからこそ、その過去を否定せず、「よく頑張ってた」と声をかけてあげたいと思っています。
未来は変えられます。
自己肯定感の低さから、定期的にネガティブな時期がやってきます。
私はそれを「ヤミー(闇・病み)が来た」と呼んでいます(笑)
でも、それすらも客観的に見つめるために、最近は「相棒ノート」というものを作って、自分を整える練習をしています。
そのことも、いつか記事にしてご紹介できたらと思っています。
おわりに
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
「いい子」として生きてきた人にしかわからない生きづらさって、確かにあると思います。
でもそれは、「ちゃんとしよう」と頑張ってきたからでもあると思うのです。
今はまだうまくできなくても、少しずつ「本当の自分」を取り戻していけたらいいなと思っています。
このブログが、あなたの心に少しでも寄り添えたら嬉しいです。
また別の記事でも、少しずつお話ししていきたいと思います。
どうもありがとうございました。